BB_nouriN’s blog

静岡県西部の山守一族

ASKAと宮崎駿と庵野秀明

ブログの本筋から完全にズレると思ったのですが、書きたいと思ったので、興味のある方は見てやってください。

 

ASKAの事はご存知ですか? ヤクブーツで捕まったあのASKAです。

 

先月、彼のオンラインLIVEがありました。オンラインLIVEを頑なに拒んでいたASKAが、LIVEの最後に「やってよかった」と言っていました。

 

オープニングはASKAの語り。テーマは海。LIVE最後〆曲は、BIGTREE テーマは木。

 

ASKAの曲は、抽象的すぎてわけがわからない。まるで霊峰富士。

 

なんでそうなっちゃうの?って言えば、一曲3分とか5分の枠内で文章化することができないから。 霊峰富士の単語を説明すると、文章が引き延ばされるのは、単語を私が翻訳しているから。

 

ASKAの発する単語も同じ。彼は能力者。自分の中にある膨大な情報を、どうやったら一曲に詰め込めるのか。それに日々悩む。全てをそのまま文章化したら、一曲が本一冊になってしまう。だから、聴く側が自分で翻訳しないといけない。文章化するのではなく、自分の感覚で。

 

そんな悩めるASKAが、宮崎駿という人の事を知る。彼もまた能力者。1時間や2時間では収めきれない情報を、なんとか映像に詰め込んで人に伝えようとしている。

 

ASKAが、On Your Mark という曲を書いた時、これを宮崎駿に託している。自分の中に有る膨大な情報を、音と言葉だけでは伝えきれない。だったら視覚情報も重ねれば、伝えらえるのではないか? 

 

CHAGEASKA宮崎駿に映像化を依頼するにあたり、話し合いの場が持たれたと思う。その会話は、おそらくこんなじゃないかなって。

 

A「えーと、こういうカンジなんですけど」

宮「あー、なるほど。こういうことね」

A「ああ、そうそう、そんなかんじです」

 

アニメ考察系の岡田斗司夫さんが、その様子を人から聞いて、こう解説している。

 

岡「宮崎駿がこの曲を悪意を持って曲解した」

 

おそらく、ASKA宮崎駿の会話を聞いていた人には、その会話でどれだけの膨大な情報がやりとりされていたのか、理解されていない。言語ではなくテレパス

 

On Your Mark という映像作品は、こうして出来上がった。その内容は、彼らに見えている現実だ。 岡田さんの言うような曲解でもなんでもない。彼は良くも悪くも普通の人だから、そう解釈したんじゃないかな。

 

近い未来、地上が汚染され人々は地下に住むようになる。悪魔崇拝の宗教団体が、人を監禁して売買している。そこでチャゲとアスカは女の子を見つける。彼女は地上から来た人の形をした何か。チャゲとアスカは、地下にあるべきでないものを、地上に戻そうとする。その命と引き換えに。

 

めちゃくちゃ単純。これはこのままの意味です。曲と映像は一致している。

 

戦争。人身売買。その末端に居る自分。それを止められない自分の非力さ。知らせようとすれば黙殺される。でもこの戦いをやめるわけにはいかない。いつか皆がそれに気づいてくれた時、この酷い世界は終わるだろう。そのために命を懸けて、あるべきものをあるべき場所に戻そう。

 

そういう歌です。

 

On Your Mark(位置について)というのは、自分たちはそこに居るんだよ。戦争や人身売買は遠い世界で起こっている事ではないんだよ。身近には感じられないかもしれないけれど、決して他人事じゃないんだよ。

 

これがASKAの伝えたかった事。告発と言ってもいい。

 

「僕はこの目で嘘をつく」「SomethingThere」も、同じかな。私はそう感じる。

 

次に、庵野秀明について。彼はメカオタクであり、恋愛至上主義者。

 

ふしぎの海のナディアは、4クールという長編だったので、あれもこれも詰め込みやすかったし、恋愛ものであるがゆえにそこは全くブレなかった。彼の代表作。

 

そして庵野は調子に乗った。宗教とDS。メカに恋愛。ナディアの時と何も変わってない。だがそれが彼の強み。自分でよく分かってる。そうしてエヴァンゲリオンは作られた。

 

だが、庵野は一番得意なもので失敗した。最大の原因は尺が短かった事。2クールでは描き切れなかった。詰め込めなかった。内容はナディアより膨大なのに、それを半分で描き切れると思ったのが大間違いだった。だからTV放送は最後に投げた。だがヒットしたから金はある。すぐに映画化。更に書き足したが、これも失敗。2時間の映画はTV放送の尺が4話分追加されたにすぎない。

 

庵野が失敗する理由は単純明快。尺が足りない。ナディアは合計何時間だ。彼には少なくともそれくらいの尺が必要。

 

数年の時を経て、劇場版として作り直す事となった。ここでも庵野は同じ過ちを繰り返すハメになる。序、破、Q。合計何時間だ。足りない。あれもこれも切るしかない。

 

私はQのあたりで彼の異変に気付いていた。庵野に最高のヱヴァを作らせるためには、尺の制限をするべきではないと。映画一本5時間でも6時間でも与えろと。そう思った。

 

ヱヴァンゲリヲンが好きな人間は2時間程度のヱヴァンゲリヲンに満足するのか?。 否。 10時間でもいい20時間でもいい。 全てを描かせるのであれば、時間的制約など設けるべきではなかった。

 

私は未だにシン・エヴァンゲリオンを見ていない。

何故だろう、見たくない。

 

結局、この3人は似た者同士だよ。 自分の中にある膨大な情報を、限られたもののなかで表現し、人に理解してもらうという事が、どれだけ難しい事かを知っている。

 

人は言葉に頼り過ぎ。なんでもかんでも言葉で分かってもらおうとする。でもそれは無理だ。英語圏の人に日本語で話しかけても分からない。

 

それに比べて、身振り手振りは万国共通ね。音楽も同じよ。

 

日本人は、日本語以外で話しかけられると「あいきゃんのっとすぴーくいんぐりっしゅ!」と言って逃げる癖があるようだけど、外国語に対して身構え過ぎ。

 

自分の感覚をもっと信じていい。異国の言葉を聞いてびっくりする必要なんかない。その人が何を訴えているのかを知ろうとするだけでいい。日本人にはそういう力がそもそも備わっている。阿吽の呼吸とか、そういう類の物。

 

言葉に頼ろうとするから解ってあげられない。だったら言葉ナシで会話すればいいだけの話。あー、と言ったら、うんうん。で分かるはず。

 

日本のアニメってのは、世界で受け入れられている。なぜかって、ただ面白いからって理由だけじゃない。アニメ制作時に、作り手が意識を乗せることで、見た人はその意識を直感で受け入れて理解できる。俗にいう「魂がこもってる」「魂実装済」ってやつ。

 

芸術に言語は必要ない。情報が膨大であればあるほど、言語では表現できなくなる。

 

当前の事だけど、機械が作った「物」に「魂」は実装されない。

 

ASKA宮崎駿庵野秀明は、そういう所も似てる。命かけてやってるから魂がこもってる。手抜きなんて絶対しない。尺が足りないから端折らざるを得ないだけ。

 

これでだいたい書けたかな。

 

最期にもう一つだけ、「今は嵐、ゆくゆくは凪」

 

あんなフレーズ、私には絶対無理。綺麗すぎる。霊峰富士ずるいぞ。どこでそんなの覚えたんだ(*´・з・`)チクショー

 

<m(__)m>