BB_nouriN’s blog

静岡県西部の山守一族

肥料屋の父と自然農をやりたい娘

先日、肥料屋の伯父さんがトラックでやって来て、こんなことを言ってました。

 

「娘の家の畑を手伝ってあげようと思っていろいろ用意したんだけど、草ボーボーにしちゃって困った。何がしたいのかさっぱりわからん」

 

この肥料屋の伯父さんは私の従妹の父で、肥料屋さんに勤めてかれこれ20年くらいになる人なのですが、次女が自宅の横の畑で菜園をやり始めるにあたり、自分の経験を元に色々と指南してあげようと思って頑張ったそうです。

 

長年放置されていた耕運機を直し、肥料を用意し、農業資材も用意して、さあやるぞ。となったわけですが、それに対して娘は

 

耕運機は使わない。肥料は使わない。農業資材(マルチの類)は使わない。

 

という不耕起自然農。をやりたい(話を聞いている限りではそんな風)ようで、これは、慣行農法に20年浸かって来た伯父さんには理解不能でも何ら不思議はないなーと。

私自身、これを伯父さんにどう説明したらいいのか、とても難しいなと思って、自分の畑の土を弄りながら、自然農って何?みたいな思考を廻らせてみました。

 

自然農は慣行農法と何が違うのか。

 

その決定的な違いは、私が思うに【考え方】だと思います。

 

【やり方】が違うだけなら、娘に言われたように手伝ってあげればいいだけの事なので、何ら難しい事ではないはずです。しかし、そもそもの【考え方】が違うとそうはいかなくなる。

 

自然農において、機械(化石燃料)を使うとはどういうことなのか、肥料(化成・有機)をやるとはどういうことなのか、資材(鉄やビニールやプラスチック)を使うとはどういうことなのか。その行為をする意図は何なのか。

 

美味しい食べ物をたくさん収穫したい。

 

これが【考え方】根本にあるのではないでしょうか。それが行為の意図です。

 

いわゆる【欲】というものです。

 

自然農の大原則に、他の場所から持ち込まない。他の場所に持ち出さない。と言う考えが在りますが、【肥料】を【欲】と捉えると、これを圃場(田畑)に持ち込みたくないという気持ちが理解していただけるかなと思います。

 

肥料を撒けば撒く程、自分の【欲】を作物に与える事になり、その【欲】を吸って育った作物は【欲】の塊となる。人がそれを食べると人はどうなるか。

 

こんな事を考えて農業をしている人は、ごく少数だと思いますが、自然農とは、掘り下げていけば実はそういうもので、作物を育てるという行為が意図するものを自らに問う。そういった一面があり、自分の【在り方】【考え方】を見直す修行みたいなものです。

 

栄養が足りないと思うから肥料を持ち込もうとしてしまうわけで、そこに栄養が足りていないという事は無いし、勘違いして【欲】を持ち込んでしまう必要もありません。

 

草ボーボーの土地に栄養が無いと思うのは、とんでもない勘違いです。

 

栄養があるから草がボーボーになる。だから肥料は要らない。

 

ここに肥料を撒いて栄養過多になるとどうなるか。様々な弊害が発しますね。虫が寄って来るとか。作物が腐り易くなるとか。

 

結局、肥料を撒く事で、防虫のために殺虫剤が必要になり、農薬を撒く。

 

いつからこんなやり方をするようになってしまったのでしょうか。「これは間違っているよ欲張り過ぎだよ」と教えてくれる人は居なかったのでしょうか。不思議でなりません。

 

先日、T先生に「JAは搾取しているのですか?」と問われ、「JAが搾取していると思うかどうかは人によると思います」という、少し曖昧な表現でお茶を濁してしまいましたが、正直申しますと、JAは農家の私財を搾取していると私は感じます。

 

私は今のJAに投資したくありません。

 

おそらく、これが最も簡単な理由になると思います。

 

今のJAには将来性がない。農業を生業としている団体が、農業を生業とする人の手助けをせず、農業を生業とする人を育てない。農家の預金で株を買い、ローンを組ませて利息を取る。保険を勧めて保険料を取る。要らぬ肥料を勧め、要らぬ農薬を勧め、ビニールハウスを勧め、農業機械を買わせ、規格に合わない作物を廃棄させる。

 

これが農業協同組合のする事ですか。【欲】の塊か!と言いたくもなります。

 

全てが全てこうだとは言いませんが、おかしいと思う事が多すぎる。

 

ずっと農業に携わってきた人にとってはこれが当たり前になっしまっていて、そう思わないのかもしれませんが、畑違いの場所から農業に関わる事になった私にとって、農業は違和感だらけでした。改善すべき事が多すぎて何から手を付けたらわからない程に無駄だらけ。今でもそうです。その原因の一端をJAが握っているというのは、全くおかしな現実です。

 

話が大きく逸れてしまったので、JAの話はまた今度。話を自然農に戻します。

 

自然農は修行のようなものだと言いましたが、自然農が修行であるとはどういうことなのか。畑で土を延々と削ったり盛ったりしていて浮かんだひとつの解。

 

修行と呼ばれるものの一つに【瞑想】というものがありますが、【瞑想】で【無】という状態を【創造】する事は難しい。だからこそ【無】を【創造】するために【瞑想】をするわけです。自分自身が【無】の状態になる事で【無限】であり【全てが在る】事を理解する。【無】を【創造】できれば、逆の【有】を【創造】する事は容易い。

 

「あれがない。これがない」と思っているうちは【有】を【創造】することは出来ないと思います。【畑】に【栄養】が【無】いと思い込んでたら、種を撒くことはしないですよね。自分自身が【無】であるのなら、何も考えずに種を撒くものなんです。

 

種を撒けない人は【欲】がありすぎて種を撒けない。

 

種と肥料と農薬と、ビニールハウスとトラクターと、他に何が必要ですか。知識と経験と、あげだしたらきりがない。これを畑に持ち込もうとするから、何もできなくなる。そういう思い込みをするように洗脳されてしまっている。

 

心当たりがあるようでしたら、草ボーボーの場所に座って瞑想する事をお勧めします。

 

何かする必要は無くて、ただひたすらに瞑想し続ける。

 

草ボーボーの場所はちょっと嫌だなと思う人は、どこでもいいです。身体が地面(地球)と接していて、無音または自然の音しか聴こえないような状態。

 

最近は素足で歩くという事も少なくなっているので、砂浜とかを素足歩いてみるのもよさそうですね。地面と直に接するって本当に大事なんです。木とか草とかに触れるのも同じくです。

 

余談ですが、私には一本の木があります。この木が在るから自分が在る。みたいな一本です。自分と山を接続する触媒みたいな働きをしているのかなって、いつからかそんな事を思うようになりました。

 

そういうものが誰にでもあるものだとすれば、それが見つかるかもしれないです。

 

まーた今回も長文になってしまいました。なんだかんだ、肥料屋の伯父さんは従妹のやろうとしている事がいずれ解ると思います。今だに現役で肥料屋をやっているから解らないだけで、年老いていけばわかる。いくつになったら解るのかは・・・わかりませんけど。

 

【瞑想】して【無】を【創造】すればわかる。とか言うと、肥料屋の伯父さんには余計わからなくなりそうなのでやめておきます。【肥料】とは【欲】だ!とかなんのこっちゃです。でもいずれ解ります。大丈夫(´∀`)bグッ

 

<m(__)m>